よっしーMJの生い立ちと半生

こんにちは よっしーMJです。
僕は、長男で、進学の時も父親はJRだったのが、戦争中は空軍で飛行機乗りだったらしい。8人兄弟の長男に生まれ、自分は自衛隊に入りたかったのだが、祖父から長男は家にいないとイカーン!と言われ、小さい兄弟のため、泣く泣くイヤイヤJRに入ったらしい。入ったあとも、転勤命令が何度か来たが家にいることを選び、転勤を拒否し続け米子の地を離れることはなかった。
おかげで、出世を棒に振り、平のまま退職したが、おかげで転校することもなく、無事神戸の大学に入ることができ感謝している。
高校受験の時は「やっとおじいちゃんの気持ちがわかった。やはり、長男は家にいるべきだ。高専(国立高等専門学校)にはいって、JRに入ってくれたら万々歳!下手に大学行ってJR入るより、高校出てJR入った方が出世ははやいぞ!」と盛んに進めた(まだこの頃は大学に入るとは思っていなかったんだと思う)
親の言う通りに進学を決めたら一生が決まってしまいそうに思えて、大学を目指すことにする。
今度は、大学受験の時は地元の国立大学に入ってくれたら、車を買ってやるといわれた。
地元の大学に入ると環境が変わらない。
ここは、ひとつ大阪の大学を受けて親離れしなくっちゃ~(^ ^)と考えていた。
結婚は見合い結婚だろうな~とずっと思ってきたが、恋愛結婚をする。
思えば僕の人生は、父親に反発する人生だったのかもしれない。
大学を卒業した時、ゼミの教授から就職の紹介を受けたが、今まで親の言うことを聞いてなかったので今回は父親の言うことを聞こうと地元、米子市に帰ることを決意する。
せつかく地元で就職しようと思ったのに(山陰は就職活動しようにも企業が少なかった)ある信販会社に入る事になり、案の定 福山営業所に配属と決まった。以降、福山、岡山、広島、と山陽道を転勤し、広島の地で独立し、学習塾と音楽教室を開く。
思えば、人生の半分は山陽道だった。
その後、友人とフィジー共和国にインターナショナルスクールを作ったんだけど、父が脳梗塞で救急車で病院に入院したという知らせ。
僕の人生、父に反発ばかりだったので、親の死に目にあえなけれは、本当に親不孝の大馬鹿ものだとフィジーより地元に帰ることにする。


iPhoneから送信思えば、自分が自分がと一旗あげる事ばかりを考えていたように思える。
心より心配してくれている父母の気持ちを考える事なく過ごしてきた自分に反省し、親孝行をしようと誓ったのであった。
幸い、父は回復とは行かないまでも、命には別状なく、今も介護は必要だけれども無事元気である。
そして、うちの母は、花が好きなので、地元の花の名所はいろいろなとこへ連れて行ってやった。
こんなすばらしいところがあるのか!
感謝の気持ちを込めて、我が故郷の風景を紹介してみたいと思うのである。

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